取捨選択の苦悩

人生において、モノをとって置くべきかどうかというのは難しい。世の中には物が捨てられなくてコンビニのレシートまでとって置く人もいるらしい。

今回の新札の場合も、旧のお札、夏目漱石新渡戸稲造なんかをとって置いたほうがいいのかどうなのか。もしかしたら価値が出るのかでないのか。その見極めを人それぞれがしているところであろう。ただ、お金の場合は千円はいつまで経っても千円以下にはならないというお取置きの安心感はある。

モノをとって置く場合に難しいのが食べ物の場合である。いくら限定モノでも食べられなくなっては意味が無い。パッケージがほしいのなら中身を抜けばいいだけなので簡単なのだが、「北海道限定雪の口どけ云々」とか「夏季限定トロピカル云々」とか言われると食べたり飲んだりするのも躊躇する。
そうやって食べないまま時がたち、部屋にたまって行く限定物の品々。
はるか昔に消味期限が切れ、食物であるかどうかさえもすでに危ういそのモノ達は安食堂のウィンドウを飾る埃まみれの蝋細工にも劣るような、捨てることもできなければ食べることもできない、どうにもならないモノ達である。

そうやってここに「捨てられないものピラミッド」が完成するのだ。

似たような状況に陥るものに、ビデオテープがある。
昔録ったビデオを、もう観ないのにもかかわらず消すことができない。その内に、何をどこに録ったのかもわからなくなる。そのためにビデオテープの山ができる。

エロビデオも似たようなものだ。

まず、捨てようと思っても、その一本一本に刻まれた歴史、苦闘を思い起こしてしまい、捨てることができないのだ。
やれ、このビデオはどこで買ったものだとか、いくらで買ったとか。
パッケージと中身の女優がたぶん違うんじゃなかろうかと勘ぐったあの日。
無修正流出という言葉に踊らされたあの日。
一本のエロビデオを探して、日曜日の朝から町中駆け巡ったあの日。
他人にはただの「月刊女子高生2」だの「魅惑の競泳水着」だのという、ありふれたタイトルに過ぎなくとも、自分にとってはかけがえの無いファミリー。

そう、彼奴ら(エロビデオ)はそういった修羅場をくぐり抜けてきた戦士達。
人生の結節点にいつも存在した彼奴ら。

俺は、俺は彼らを見捨てることはできぬ。

というわけでエロ系は捨てなくてもいいと結論。